スピリチュアリズム

スピリチュアリズム(心霊主義)とは、特に霊媒を通して、死んだ人の魂が生きている人と通信することが可能であるという信念、または、魂が物質とは別に存在するとか、あるいは霊が唯一の存在であるという主義をいいます。

英国でスピリチュアリズムが生まれたとき、賛同者の中にはさまざまな学者や文化人、知識人達が大勢いました。彼らの宗教観はさまざまだったので、上記の定義は妥協点であり、皆が同意する最低の線の定義であると考えられます。逆に言えば、この定義にさえ賛同すれば、誰でも自分のことをスピリチュアリストと呼ぶことができます。また、スピリチュアリズムの運動に参加していても、自分のことをスピリチュアリストと呼ぶ必要はありません。基本的に「スピリチュアリズム7つの信条」を認めさえすれば、誰でも宗教の違いを超えて運動に参加できます。この運動の中には、お互いの異なる宗教観や修行の方法などを尊重し合うという基本的なルールも含まれています。

「スピリチュアリズム7つの信条」
1.神は親です。
2.人類は皆同胞です。
3.霊との交わりと指導霊の参与を認めます。
4.人の魂は死後も存続します。
5.個人に責任があります。
6.カルマの掟を認めます。
7.永遠に進歩する機会が、すべての人に与えられています。

アイイスでは近年、日本だけでなく世界中で多くの人に受け入れられている輪廻転生と過去世の存在というアイデア、そして、魂は宇宙の創造主の元から出発して同じ場所に還るというアイデアを取り入れ、また、昔からスピリチュアリズムの中で受け入れられてきた「天使の参与」より、むしろ「指導霊の参与」を重視して運動を展開しています。
(現在でも、イギリスには輪廻転生と過去世のアイデアを認めないスピリチュアリストは大勢います)

スピリチュアリズムの歴史

スピリチュアリズムの歴史は、この宇宙の誕生と同時に始まっていると言っても過言ではありません。なぜなら、霊界は神の意識の表現であり、宇宙の誕生と同時に存在し始めているからです。
人類の歴史を紐解いてみると、霊的なものに敏感で、霊や神を恐れ、かつ崇拝してきた人々が太古の時代から大勢います。聖人、予言者、隠遁者、仙人と呼ばれた人達。祭司、牧師、僧侶、尼僧、巫女。魔女、呪術者と呼ばれた人達や天才、狂人のたぐいまで含めるとリストは膨大なものになります。

しかし、近代心霊主義の誕生の日が1848年3月31日とされているのには理由があります。

1847年12月11日、アメリカ・ニューヨーク州のハイズヴィルという片田舎の一軒家に、フォックス夫妻と二人の娘が住みはじめます。
一家が引っ越す前から、この家では不思議な音や幽霊が現れるとの噂がありました。一家が住み始めると、やがてポルターガイスト現象が起こり、コンコンと壁をたたくような音と家具が動くような音がしました。特に子供達は怖がり、二人は親と同じベッドで寝ることもありました。一家は音の原因を必死になって探しましたが、見つかりませんでした。
ある時、ラップ音がドア付近でするので、ジョンとマーガレット夫人は、ドアを内側と外側から見張っていましたが、その音は二人の中間から聞こえてきました。音はだんだん強くなる一方だったので、お祓い、除霊など、彼らは懸命にいろいろ手を尽くしてみましたが、何をやってもその音は静かになりませんでした。マーガレット夫人は自分達の家には自縛霊がいるとだんだんとあきらめ始めていました。
1848年3月31日、疲労困憊していた一家は、早めに寝ることにしました。すると、まもなくポルターガイストが起こりました。娘のケートが子供心に、「自分と同じように指を鳴らしてごらん」と言って幽霊に挑戦しました。すると幽霊は、ケートと同じ回数だけラップ音を鳴らしました。ケートはその後もいろいろ質問し、時々、指で音をならす仕草はしましたが、失敗して音が出ないときもありました。それでも幽霊は正確に反応しました。そこで、母親のマーガレット夫人は、この幽霊が聞こえるだけではなく、見ることもできることに気がつきました。
その後、夫人は、自分の子供の年齢について聞いてみました。すると幽霊は、見事にすべての子供の年齢を当てました。そして、少し躊躇した後、最後に3歳になる子供がいるという意味のラップ音を3回ならしたのです。夫人は最初、それは間違いであると主張しましたが、幽霊は譲りません。夫人はそこで、自分が3年前に亡くした子供のことを思い出します。そして納得すると同時に、その後いろいろな質問をして、この霊が自分以上に自分のことを知っていることに驚きます。

この夜、7時半頃になると、マーガレット夫人は、近所のレッドフィールド夫人を呼びに行きます。そして、この夫人が質問すると、やはり、この幽霊はこの夫人のこともよく知っている様子だったので、驚いた夫人は自分の夫を呼んできます。
その後、近所の人達が大勢やって来て質問をし、その晩は夜通し交信を続けました。そこにいたデュエスラーという男性が、アルファベットを使用して交信を始めます。それによって、そのポルターガイストが、5年前に殺された行商人のチャールズ・ロスマで、彼には奥さんと2人の息子と3人の娘がいること、そして、その家に前に住んでいた人にお金のために殺され、彼の死体は地下に埋められていることが判明します。殺されたのは火曜日の深夜12時で、この家の東の寝室に泊まっているとき、肉切り包丁でのどを切られたと訴えました。

後になって判明したことによると、この家には以前ベルという夫婦が住んでいました。当時のお手伝いさんの証言では、チャールズ・ロスマは黒のコートとグレイのズボンをはいていたそうです。彼が泊まった夜に彼女は暇を出され、3日後に戻ったときには彼の姿はなかったそうです。その後、この家では同じような出で立ちの幽霊が近所の夫人によって確認されていました。
ハイズヴィル事件の後に地下室の捜査が行われましたが、一部の骨と髪の毛しか発見されず、裏付けがないために事件の信憑性が疑われました。しかし、1904年11月22日に地下室の壁の下から男の遺体が発見され、ポルターガイストが語った事件を裏付ける結果となりました。

ハイズヴィル事件の後もフォックス家の姉妹にはラップ音がついてまわりました。そのうちに同じようなラップ現象が多くの人に起こるようになり、やがて姉妹はミディアムとして活躍するようになります。スピリチュアリズムの論議はニューヨーク州だけではなくアメリカ全土に広がり、やがて、各地で集会や降霊会が催されるようになりました。その運動はヨーロッパに飛び火して、特にイギリス、フランス、イタリアなどで、盛んに研究が始められるようになります。

当時、スピリチュアリズムに興味を持った人達の中には、文化人、知識人、学者などが多かったため、スピリチュアリズムは急速に体系化、組織化されます。特に物理霊媒に関する実験が多かったのですが、数々の実験と報告と出版が続けられました。キリスト教徒の中には死者の魂を呼び起こすのは悪魔の仕業であるという考え方が強かったため、先駆者達には多くの偏見と困難が待ち受けていました。当時、イギリスなどは魔女法という法律があったために、降霊会は極秘に行なわれていた場合も多かったと記録されています。

このように、さまざまな噂や批判や中傷が飛び交う中、通信手段の発達とともに心霊に関する情報と興味は世界中に浸透していきます。1960年代になると、自由と解放を求めるヒッピーの運動とともに、特に東洋の宗教に関する新しい興味が生まれてニューエイジの運動へと発展します。現在は、さまざまな霊的、宗教的価値観とイデオロギーなどの情報が交錯する時代となっています。その結果、どの情報を信じてよいかわからないという状況が生まれていて、真実を探すのが難しく、混乱の波に飲み込まれてさまよう人々が後を絶ちません。昔の宗教もそうでしたが、まだ、完全な宗教、真実は、この世に現れていないと考えるべきでしょう。

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