日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)。日本には、数々の『日本三大霊~』があり、色々なバリエーションがあるが、必ずと言っていい程この中に含まれるのが恐山である。(この他、富士山、熊野三山も霊場として有名。)
霊場とは、霊験あらたかな(著しい)場所とか聖地という意味である。このように考えると霊場は、天然のエネルギースポットになっているか、あるいは訪ねて来る人のもたらす信心/信仰心が作り上げた人工のエネルギースポットか、または、その両者のミックスしたものである可能性が考えられる。
ところが恐山は、霊場という肩書きと恐山という名前のせいか、「死霊の集まる場所」、「イタコのいる所」、「霊界への入り口またはとつながっている所」、などという、俗人とマスコミが作り上げたとんでもないイメージがどうしてもつきまとってしまう。しかしながら、本当のところは全く違う。確かに一部の下北半島や東北地方の人達は、人が死んだらお山(恐山)に行くと信じて来たので、知人や先祖の霊が恐山に常住すると信じ、年に一度の大祭の時などに家の誰かが必ず参拝し、祖先の霊を供養するという習慣は存在して来た。
恐山が自然のエネルギーのスポットの可能性もあるが、霊場と言われる本当の理由は別にある。昔、日本海を舞台とした北前船が航海の安全や家業繁栄を祈るために恐山に参拝に詣でたという。また、下北地方には、大漁や五穀豊穣、家内安全、無病息災といった現世利益を願う「地蔵講」という習わしもあったので、村では季節ごとに恐山に詣で、延命地蔵菩薩に御利益を願ったものである。ところが戦後、この「地蔵講」が消え去り、マスコミにあおられて、恐山はいつまにか「死霊の集まる場所」、「イタコのいる所」に祭り上げられてしまったのである。
恐山という名前の由来についてはさまざまな説があるが、このあたりで修業をしていた慈覚大師が飛んできた一羽の鵜(う)によって導かれて湖を発見し、大師は湖を「宇曽利湖(うそりこ)」、そして、山を「ウソレヤマ」と呼び、これがのちに転じて「恐山」となったというのが一つの説。またもう一つの説は、アイヌ語の「ウッショロ(湾)」とか「ウサツオロヌブリ(灰の多く降る山)」から由来しているというものだ。
今を遡ることおよそ1200年前に、唐に渡った修行僧の慈覚大師円仁の霊夢に聖僧が現れ、「あなたは自分の国に帰り、東の方に行った所に霊山があるので、そこに地蔵菩薩像を彫刻し、その地に仏道を普及しなさい。」とのお告げを受ける。慈覚大師は直ちに帰国して霊山を探して諸国を行脚し、辛苦の旅を重ねてこの地に至り、地蔵菩薩像を彫ってここに安置して862年に開山したと記録されている。(本尊の延命地蔵菩薩は恐山菩提寺に納められていて、本坊は曹洞宗円通寺)
恐山は下北半島のほぼ中央に聳える霊峰で、宇曽利湖と白砂の大地を中心に八峰に囲まれていて、桃源郷のような雰囲気がある。一人で公共の交通手段を使っていくには、JRで野辺地へ行き、そこで大湊線に乗り換え下北まで行って電車を降り、下北から町営のバスで行くのが便利である。大湊線では、車窓の向こうにむつ湾のおだやかな海の景色が延々と続き、旅人を癒してくれる。バスは下北の町を離れて北上し、やがていろは坂のような道を上っていき、なだらかになり始めると硫黄のにおいが鼻につんとつき始める。このあたりから波動が変わり、霊場に入ったことに気がつく人がいるかもしれない。バスが森を抜けでるとすぐ、宇曽利湖と赤い丸太橋と遠くの高い山々と恐山が見えて来る。恐山自体はそれほど高くない山なので、まるで盆地に来たような気がするが、聖地にふさわしい風情があるのは一目瞭然である。バスは総門の手前のバス停に到着するので、帰りの時刻を確認しておくといいだろう。
総門から山門に入ったあたりはまだ、ごく普通のお寺のように見える。恐山境内にある4つの薬湯はそれぞれに効能があり、参詣者は自由に入浴できるので、後でゆっくり湯治して帰るとよい。(手ぬぐいは、入り口の店で売っている。)
平和観音
山門を過ぎたあたりから、小石を積み上げた小山が左手に現れ、その小山にはおびただしい数の風車が指してあるのが目に飛び込んで来て、異様な光景が繰り広げられる。この辺一帯は休火山で、亜硫酸ガスがあちこちで吹き出している。この光景を見て地獄を思わない人がいるだろうか。それにしても、静寂さの中で大量の風車がギシギシカラカラとかすかな音をたてて回っているこの場所には、どうしても子供を亡くした親の悲しみを感じざるを得ない。遠くから見たらハリの山のような地獄絵であったが、よく見るとそれらの小山は自然に出来たギザギザの部分と、そこに訪ねて来た巡礼者達が積み上げた小石の山から出来ていて、そこにはふしぎなハーモーニーが生まれている。悲しみの波動の中に、小石を積み上げた人の体験したであろう神聖な時間と空間が感じられる。そこには、自然が人を無くした遺族の人達へもたらしてくれる癒しのエネルギーが感じられる。
不動明王
恐山を訪れた人は、もう二度と同じ気持ちで風車を見ることは出来ないであろう。風車の他に、あちこちに遺影の写真と小さな墓碑のも置かれてあり、立ちこめる硫黄臭と荒涼とした風景はまさに異空間、地獄を垣間見ているようであるが、地獄の形相は転ずれば風光明媚浄土の相に早変わりするのである。見る人の心境によるということである。また、ここには、「六大地蔵」「奥の院不動妙王」「延命地蔵」「水子供養御本尊」「千手観音」「五智如来」など沢山の石仏が点在する。その他、三途の川や色々な名前の付けられた地獄が沢山あり、またそれと対照的な極楽浜がある。つまりここには、地獄と救世主の仏から天国まで、全てが存在するのである。この浜の砂はほんとうに白くて、訪れる遺族の心を癒してくれる。そのむこうに宇曽利湖が広がり、波が静かに引いたり寄せたりを繰り返している。この湖は、酸性度が強すぎて魚などの生き物は住めないというが、不思議な神聖な波動を保っている。この白浜にたたずんで湖を見ているだけでも、本当にこころが癒される。そして、この湖の彼方に何があるのだろうと、つい天上界に心を馳せてしまう自分を発見する。
延命地蔵菩薩
地蔵菩薩の「地」という文字は大地の地、「蔵」は生命を育む母胎をあらわしている。私達に色々な食べ物や必要な大地の恵みを授けてくれ、私達を常に支えてくれるこの大地の愛と、母親の小袋(黄金の卵)のような平和と愛に満たされた魂の永遠の故郷のような世界が、地蔵菩薩の計り知れない慈悲の世界だと思う。
イタコの仕事は「口寄せ」により、霊界にいる先祖・肉親・友人・知人の霊と、現世に残された私達との仲介をし、霊の言いたいことを伝える「仏降ろし」が 全てと思われがちだが、これは必ずしも正確ではない。実は「口寄せ」には他に「神降ろし」といわれる神の言葉や意志を語る一面もある。未来の吉兆、安全祈願の他、病気回復、人生相談といった悩みにも対応してくれる。このため、イタコは「神様」と言われていることも少なくない。イタコが神様かどうか、また、「口寄せ」がよく当たるか当たらないかは別として、イタコは相談者の悲しみや悩みを軽くするなど、ヒーラーとカウンセラーの役割も果たすのである。イタコは、恐山大祭(7月20日~24日)と恐山秋詣り(毎年10月の体育の日が最終日となる3日間)の年2回、恐山の境内の中にいる。入山料を払い、総門をくぐって直ぐ左へ行けば会うことができるが、予約制ではないので順番待ちとなり、料金には特に決まりがなく、”こころざし”を渡すのがしきたりである。目安は一人降ろしてもらって、3,000円位。
もともとイタコは生まれながらか幼くして盲目・半盲目になった女の子が師匠のイタコへ弟子入りし、経文を覚え、肉や卵を断った修行を経てイタコになるというかたちで伝承されて来たが、現在、恐山付近にはイタコはいないし、他の地域(津軽、八戸地方など)から恐山にやってくるイタコが多い。毎年7月20日~24日に行われる恐山大祭には、たくさんのイタコが店を開くが、このイタコがたくさん集まるようになったのも昭和30年代からである。現在、イタコは県内各地に健在だが、その数は年々減り今は16人だけ。また、彼女たちの平均年齢も60歳近くとなり、後継者はほとんどいないといわれている。
参道の左の男性用の湯小屋「冷抜の湯」と女性用の湯小屋「古滝の湯」の造りは同じようなもので、木造の床の中央に小さな湯船が二つあり、お湯は半透明の乳色と緑色が混じったような色で、硫黄の刺激臭があって素晴らしい気分にしてくれるが、温泉の温度が少し熱目になっている時が多いので、水で薄めて水温を下げてから入った方がいい。右奥の参道から100mくらい奥まった所には混浴の「花染の湯」があるが、ここは湯船が3つに分かれていて、あまり目立たないせいか意外と人気がある。「薬師の湯」は、一般観光客は使用出来ない。
○恐山寺務所: 0175-22-3825
○宿坊吉祥間: 0175-22-3826 FAX:0175-22-3402
○開山期間: 毎年5月1日~10月31日>
○開山時間: 午前6時~午後6時
○大祭典: 毎年7月20日~24日
○秋詣り: 毎年10月の体育の日が最終日となる3日間(土・日・月)
○入山料: 個人 1人500円 (但し、小・中学生 1人200円)
○祈祷・供養時間: 午前6時30分・午前11時・午後2時(大祭典・秋詣り期間は別に設定)