聖デヴィッド外観
イギリスは基本的に連合王国であり、大別するとイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの四つの王国と、いくつかの島や植民地から成り立っています。5世紀頃を境にアングロとサクソン人が押し寄せてきた時、この島ブリテン等には、原住民であるケルト人が住んでいましが、彼等の一部は侵入者達に押されて北へ西へと移動していきまた。北に逃げた彼等の一部がスコットランド人の先祖となり、西に逃げた彼等の一部が、ウェールズ人やコーンウォール人の先祖になったのです。
ウェールズは、ウェールズ語ではカムリ(Cymry)と言います。聖デヴィッドの像は、よく肩にダブ(白い鳩)を乗せて小さな丘の上に立って表されていることが多いですが、ここカムリの国、ペンブロックシャー州の西の最果ての地、現在のセント・デヴィッズの町の近くに、王子として生まれたといわれています。一説では、彼はアーサー王の甥であるとか、伯父であるといわれていますが、真実は定かではありません。やがて牧師となった彼は、589年(544年/601年の説のある)3月に没するまで、この教会の大修道院長を務めたそうです。現在でも3月1日は、ウェールズ人に取っては記念日であり、日本で言えば建国記念日に当たるかもしれません。この日、愛国心の強いウェールズ人は、「リーク」という長ネギの一種を身に付け、愛国心とウェールズ人としての誇りを表現します。
祭壇
彼の偉業や聖人として言われる由縁の奇跡の数々はウェールズ人なら皆知っていますが、一部のイギリスの学者の中には首を傾げる人も少なくなく、伝説と神話と史実がミックスしていると言われ、その伝説は聖ベネディクトの生涯によく似過ぎていると言われています。しかしながら、特に面白いのは、アーサー王がアングロサクソン人と戦っている時、聖デヴィッドが見方同士が相打ちをしないようにウェールズ人にリークを帽子に付けるように提案したことです。彼が後押ししていることが勇気づけたのか、あるいは彼のアイデアが功を奏したのか、この時ウェールズはイングランドに対して大勝利を治めたそうです。
この他、彼が大勢の民衆を前に演説をした時、彼が地面に広げたハンカチの上に乗って演説を始めると、その部分の地面が盛り上がり、大勢の人が彼の演説をよく聞くことが出来たという伝説も残っています。
聖堂ネーブ
このほかにも数々の奇跡を記録している聖デヴィッドは、一部の人にこの聖デヴィッド大聖堂に眠っていると信じられています。(一説では、966年にグラストンベリーに移されたとも言われています。)1120年、当時のローマ法王によって、聖人と言うタイトルを授かり、やがて、彼を慕って多くの巡礼がここを訪れるようになり、ここに町が出来ます。昔からここに2回お参りすると、一回バチカンまでお参りをしたことに匹敵するといわれて来ました。現在ウェールズでは、50以上もの教会が聖デヴィッド教会と名付けられているほど、今でも彼の人気は衰えていません。