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モーゼの十戒
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これは、モーゼがシナイ半島の南部にあるシナイ山の山頂で受けた10箇条の啓示で、戒めの形式をとっています。
(真っ赤に燃え上がるようなシナイ山へは、カイロからシャルムシークへ飛び、そこからタクシーを飛ばして約3時間半でセント.キャサリンへ、そして、そこからベドウィン人のガイドに導かれて2時間半くらいで山頂へと行くことが出来ます。シャルムシークのほとんどのホテルでは、夜中に出発して御来光を拝んで翌日の昼ころ帰ってくるツアーを組んでいるので、ホテルで気軽に相談するといいでしょう。)
この十戒は、旧約聖書出エジプト記20章に出てくるもので、ユダヤ教、回教、そして、キリスト教の重要な要になっています。
モーゼはモーセまたはモイゼともいい、偉大なイスラエル人の指導者の1人で、紀元前14世紀ころエジプトに生まれ、苦役の同胞を率いてエジプト脱出を図り、シナイ山において神と民の契約を行い、律法をイスラエルの民に与え、彼等を約束の地へ導きました。
◆参考資料:「人が永遠に求めるもの」パラマハンサ.ヨガナンダ著 その他
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| 第1条 あなたは、私以前に他の神々を持ってはいけません。 |
これは、神様は唯一であり、他の神々が存在するというこというのはありえないことで、実は他の神々は、神様ではないということを意味しています。また、拝むのに値するのは、神様1人しかいないという言い方も出来ます。神様は色々な名前で呼ばれていて、色々な姿で拝まれていますが、その裏には、いつも1人の神様がいるということです。神様は、私達が信じている姿をとって現れるということです。神様は霊です。実際、姿も名前も超えた世界に住んでいる霊です。
インドの偉大な叙事詩バガヴァッド.ギータにも、「あなたの心の中に私を吸収しなさい。私の信者になりなさい。全てを私に捧げなさい。私に挨拶しなさい。あなたは私にとって大切な人です。この真理が理解できてそれを実行する人は、私を手に入れることが出来ます。」と詠われていますが、とにかく私達全ての人の人生の目的が、神との合体あるいは悟りでなくてはいけません。また、もちろん、私達は物理的な義務も果たさなくてはなりませんが、その時も、神様から命や力(エネルギー)を借りて全てをやっていることを忘れてはいけません。つまり、私達を通して、神様が実際は総べてやっているとも言えます。この事実や神様のことを忘れて義務を遂行することは、一番の罪(原罪)です。つまり、それは無知であり、私達の中に内在する至高の意識に相反した行動を取ることになります。これが全ての不幸の原因です。怒りや恐れや、罪悪感の原因であり、私達がアクションをとった後、心が痛む時、良心の呵責に悩まされる時、それは私達の取った行動が間違っていたからです。私達の心の反応が、間違っていたからです。私達の行動が、神様のためにとった行動ではなかったからです。その時神様があなたの心の中で一番の存在ではなかったからです。
人が、金品や名声や欲望など、エゴの欲するもの、神より劣るもの拝みはじめると、人は不幸になります。
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第2条 あなたは、いかなる偶像も崇拝してはいけません。 |
| 偶像崇拝を禁じる信条が、ユダヤ教と回教と清教(プロテスタント)に深い影響していると思われます。このコンセプトの奥には、神様は偶像を含めて全ての創造物の中に存在しますが、基本的に神様は無限であり、偶像や特定のイメージの中に閉じ込めることは不可能でありということが秘められています。また、これは、昔、多くの人が、偶像は単に神様や聖人を象徴しているだけで、私達はその偶像の中に託されている神様や聖人の素晴らしさや尊さを崇拝しなければならないということを忘れて、偶像そのものを神様や聖人と見立てて崇拝してしまったことに由来しているようです。
もちろん、一部の人達は、偶像は偶像にしか過ぎなくて、偶像に象徴される神様や聖人の神性が最も大切なものであることを知っているので、その偶像に表されているスピリットに手を合わせてその偶像を拝むことが可能です。偶像とか宗教的なイメージがその神様や聖人が持っている偉大な性質や業績を思い浮かべるうことを手伝うなら、それは、価値がありますし、このような人達にとって、偶像等は拝む時の良き道具となります。
そうでない人の場合、偶像は良い結果に導くどころか、悪い結果を招きます。何を崇拝する時でも、イメージや儀式自体が象徴するするもの、つまりそのスピリットを心に抱いて崇拝するようにしましょう。
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| 第3条 神様の名前を無駄にしてはならない。 |
| 神様の名前を口にする時は、精神を集中して、心の中でも神様のことを思っていないと効果はないということです。これは神様の名前だけではなく、お経や祈りを捧げる場合にも当てはまり、ただ、機械的に祈りやお経をあげても、それに気持ちが入っていない場合はまったく無駄であり、神様や仏様の処に通じないということです。誠実さを持って神様や大神霊様への愛で心を一杯にして祈りを捧げないと、何千回いや何万回同じお祈りをしても、全く意味がありません。ヒンズー教や仏教の中に、神様の名前を千回唱えるとかお経や写経を何回か達成すると、望みがかなえられるとか何らかの御利益があるとされていますが、気持ちが入ってない場合、集中力とか信心が欠けてる場合の効果が疑われます。
そして、ここには、神様の名前をむやみやたらに口にすることは、神様に大して無礼であるという戒めの意味も含まれていると思われます。しかし、最も重要なことは、最初に記した通り、つまり、気持ちの入っていない祈りは無駄であるということです。
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| 第4条 安息日(ユダヤ人の土曜日/クリスチャンの日曜日)を忘れず、その日を聖なる一日にしましょう。 |
| 私達は、常に神様のことを思い、神様と一緒に生活することが最上の生き方ですが、実際には、生計を立てるためなど、神様以外の他のことに気と取られている時間が長くなることもあり、常に神様に思いを馳せているわけにはいきません。そこで規則的に神様に自分の魂を捧げる時間、神様と会話をする時間を取ることが提言されました。最低一週間に一日は、他の仕事をせずに隔離された空間と時間の中で一人になり、神様と会話をする日にします。そして、そこで神様に現れるようにお願いしたり、反省(懺悔)などの会話をしたり、神様をお招きして神様から平和や愛や生命のエネルギーなどを授かります。
インドのヨギ達は、一日に四回はこのような時間と持つようにすると言われています。何も、一週間に一日でなくてもいいのです。一週間間に一日は、最低条件であり、出来たら、スピリチュアリストは一日二回瞑想するようにしましょう。
こうやって培われた平和と愛のエネルギーは、貯えられて、あなたを強くて優しくて冷静な人にし、あなたの人生は楽しくなり、順調に流れ始め、あなたは自然と幸せになります。安息日と瞑想によって得られる安息を大切にして生きていきましょう。 |
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第5条 あなたの父と母を尊敬しなさい。 |
| 人間の父親と母親は、神様を代表する者として敬われなくてはいけません。母親は、神様の無条件の愛の優しさや寛容さを、そして、父親は神様の知恵と保護を象徴しています。親を神様と比較したり、切り離して愛する必要はありません。親の中に神様を見て、愛すればいいのです。親は神様に祝福されて、子供を授かっています。どんな親でも親が心の病気でもない限り、基本的に子供はかわいいものです。中には、こどもにとって愛するのが難しい親もいるかも知れませんが、親の中の神性を見つけて親を愛しましょう。子供が親を信頼できなくなったり、親子の絆が切れたら、この世はおしまいです。なぜなら、最も基本的な愛の形が失われるからです。そして、いずれは、親の中の神性だけを愛するようになりましょう。
ヒンズー教では、友情、兄弟愛、親子の愛、子弟の愛、そして、神への愛と、このように愛情にも段階をつける人もいます。最後にたどり着くのが、人と神との間の愛です。親子の間の愛も、最終段階の愛の形への準備であるとも言えますが、親との愛の中に最後の愛の形を見つけることも可能だと思います。親は大切にして、そして、親孝行が出来る間に沢山の親孝行をするとともに、神様のように愛しましょう。 |
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| 第6条 殺してはいけません。 |
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これは、殺すために殺してはいけないということです。それは、殺人になります。一時の感情の弾みで人を殺してはいけません。でも、自分の国が不正に攻撃されて、神様が下さった自分の愛する者達と国を守らなければならない時、徳や正義、愛や神聖なものを守らなければならない時は、別です。 |
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| 第7条 不義を働いてはいけません。 |
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性的結合は、結婚の中で家族を作るためにと、互いの中に神を見いだせる夫と妻が互いの愛情を表現するために、魂の表現の一つとして営まわれるべきです。肉体の欲するままにセックスを追い求める人は動物と変わりません。自分の妻以外の人とセックスを営む人は不義を犯していますし、快楽のためにだけセックスを求める人も、不義を犯しているのに等しいのです。
性的エネルギーも神聖なエネルギーです。聖人のように、このエネルギーを昇華することの出来る者は、強い精神力を養うことが出来ます。 |
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| 第8条 盗んではいけません。 |
| ものを盗んではいけません。なぜなら、盗みが横行すると、この世は乱れ、敵だらけになり平和がなくなるからです。盗みとはそもそも、自分のものでないものを、許可なく不当に手に入れるということであり、盗む側の欲望が原因であり、失う側への配慮もしくは愛が欠けているので、スピリチュアルな行動ではありません。どちらかと言う動物的な行動です。動物は、全体としては、神の計らいによって、うまく自然環境を保ちながら生きていますが、基本的に食べたいもの、欲しいものを追求すると言う自己中心的な習性があります。人は、他の人を考慮し愛するところが動物と異なるところです。人には良心というものがあります。物だけではなく、他人の平和、時間、空間や愛など、他人のすべての所有物を盗んではいけません。 |
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| 第9条 嘘をつかない。 |
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嘘をついて他人を傷つけるのも、社会の平和を乱します。自分が他人によく扱ってもらいたいのなら、他人に対して正しく振舞わなければなりません。いつも正直に生きることが大切です。そのためには事実と真実の違いをよく理解していなければなりません。
私達は、それが幾ら真実であれ、人を裏切り傷つける不必要な言葉を口にしてはいけないと言うことです。思いやりが必要です。愛が必要です。愛を抱いて毎日を生きていけば人はいつか幸せになり、世界は平和になります。また、真実を話すと傷つけるからといって、嘘をついてもいけません。そのような時は黙っていましょう。 |
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| 第10条 近所の人の家、奥さん、使用人、女中、牛、ロバ、その他の所有物を欲しがってはいけません。 |
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欲望は、不満と争いと不幸の原因です。必需品と不必要なものとの違いを学びましょう。他人のものを欲しがれば欲しがるほど、あなたは不幸になります。この世には、心の中の魂の喜びしか本当に満足できる喜びがないことに、早く気がついて下さい。あなたの中に他の誰にも負けない、他の誰の所持品にも負けない最高の宝物があります。神様が住んでいます。探して下さい。見つけたら、他人と分かち合って下さい。喜びが何倍にもなります。 |
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