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道教の教え

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2章
9章
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12章
6章
13章
7章
 

 一般的に道教といっても、実は、道教は大きく二つに分けられます。一つが、老子の教え。そして、もう一つが中国に古くから伝わってきたアニミズムの集体系である一つの宗教。ここでは、老子の教えにだけ焦点を絞り、皆さんに紹介していきたいと思います。

 老子は、中国において「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」ことを始めて提唱した哲学者です。彼の出生や人物像については、諸説がありますが、たぶん、紀元前500年ころ実在した人であろうといわれています。彼が書いたとされるテキスト「老子」(道徳経/道経)は、孔子が書いた儒教のテキスト「論語」とともに、中国の文化や中国人の気質に深く影響して今日まで来ています。

 このページでは、スピリチュアリストの観点からこのテキスト「老子」を訳してみました。全部で81章に別れますが、この中に出てくる「タオ」(道)という言葉に関しては、昔から沢山の解釈や説があり、沢山の訳が試みられてきましたが、スピリチュアリストの私達は、「霊または霊的な道」と解釈します。
    
参考図書: 「道教」老子著 John C. H. Wu訳 「老子」福永光司著

■ 8 章 ■


上善若水 水善利萬物而不爭 處衆人之所悪 故幾於道 居善地 心善淵 興善仁
言善信 正善治 事善能 動善時 夫唯不爭 故無尤
(上善は水の若(ごと)し。水は善く萬物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。居(お)るには地を善しとし、心は淵(ふか)きを善(よ)しとし、与(とも)にするは仁なるを善しとし、言(げん)は信あるを善しとし、正(おきて)は治(おさま)るを善しとし、事は能あるを善しとし、動くには時なるを善しとす。夫(それ)唯(た)だ争わず、故に尤(とが)め無し。)
   最上の善は水のようなものです。
   水は争うことなくして、
   いかに万物に恵みをもたらすかを知っています。
   それは、全ての人が嫌うところに留まります。
   だから、それはタオに近いのです。  
   住むところを決める時は、地面に近いところにしなさい。
   心を開拓する時は、なるべく隠れた深いところを探りなさい。
   他人と接する時は、優しく親切にしなさい。
   話す時は、自分の信じていることだけを話しなさい。
   治める時は、秩序を保ちなさい。
   商売は、効率良くやりなさい。
   行動を取る時は、正しい時期を選びなさい。
   他人と争うことをしなければ、
   他人から非難されることもないのです。

 
■ 9 章 ■


持而盈之 不如其己 揣而鋭之 不可長保 金玉滿堂 莫之能守 
富貴而驕 自遺其咎 功遂身退 天之道
(持して之を盈(み)たすは、其の己(や)むるに如(しか)ず。揣(う)ちて之を鋭くすれば、長く保つべからず。金玉、堂に滿つるも、之を能(よ)く守る莫(な)し。富貴にして驕(おご)れば、自ずからの其の咎(とが)を遺す。功(こう)遂げ身退くは、天の道なり。)
  物事がパンク状態になる前に、止めた方がいいです。
  刀を鍛って研くことを繰り返すと、その刃は長く保存出来ません。
  家を金と翡翠で一杯にしたら、それを守ることが出来なくなります。
  富と名誉を重んじれば、後で苦難を味わうことになります。
  仕事をやり終えたら、引退するのが天の道です。

 
■ 10 章 ■


載營魄抱一 能無離乎 専氣至柔 能嬰兒乎 滌除玄覽 能無疵乎 愛民
治國 能無爲乎 天門開闔 能爲雌乎 明白四達 能無知乎 生之畜之 生而不有 爲而不恃 長而不宰 是謂玄徳
(營魄(えいはく)に載りて一(いつ)を抱き、能(よ)く離るること無からんか。 気を専(もっぱ)らにし柔を致(きわ)めて、能(よ)く嬰兒たらんか。 玄覽(げんらん)を滌除(てきじょ)して、 能く疵(そこな)うこと無からんか。 民を愛し國を治めて、能く無為ならんか。 天門、開闔(かいこう)して、能く雌(し)と爲らんか、明白にして四達(したつ)し、能く無知ならんか。 之を生じ之を畜(やしな)う。 生じて有せず、爲して恃(たの)まず、長じて宰せず、是れを玄徳と謂う。)
  精神と魂を維持する中で、
  あなたはこれらの完全な調和を維持することが来ますか?
  心身の柔軟性を得るために気というエネルギーを集める中で
  あなたは嬰児の状態にまで到達しましたか。
  あなたの内なるビジョンを浄化する中で
  あなたは全ての汚れを落とすことが出来ましたか。
  人民を愛し國の統治する時
  知恵を持ってそれらを施すことが出来ますか。
  天の門を開閉する時
  あなたは女性の役割を演じることが出来ますか。
  啓発されて全ての方向において先が見えるようになった時、
  それと同時にあなたは、無為無心でいられますか。
  人民を育てなさい。
  人民に食を与えなさい。
  自分の所有物とせずに人民を育てなさい。
  重んじることなく、自分の仕事をしなさい。
  畜生は殺さずに、引率者でありなさい。
  これが隠れた徳と呼ばれるものです。

    
■ 11 章 ■


三十輻共一轂 當其無有車之用 センショク以爲器 當其無有器之用
鑿戸ユウ以爲室 當其無有室之用 故有之以爲利 無之以爲用
(三十輻(さんじっぷく)、一轂(いっこく)を共にす。其の無なるにあたって、車の用有り。 埴(ねばつち)を捏ねて以って器を(爲)つくる。其の無なるにあたって、器の用有り。戸ユウを 鑿(うが)って以って室を爲(つく)る。其の無なるに当たって室の用有り 故(ゆえ)に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。) 
 三十本のスポーク(輻(や))が一つのハブ(轂(こしき))に収束しています。ハブの中央の穴に車のメインの機能がかかっています。私達は、粘土の固まりから容器を造ります。容器の中の空っぽのスペースが、それを有益なものにします。また、私達は部屋のためにドアや窓を造ります。でも、この空っぽの空間があるからこそ、部屋は部屋として機能するのです。このように、感知できるものも有益ですが、感知できないものがそれを便利なものにするのです。

 
■ 12 章 ■


五色令人目盲 五音令人耳聾 五味令人口爽 馳騁田獵令人心發狂
難得之貨 令人行妨 是以聖人 爲腹不爲目 故去彼取此 
(五色は、人の目をして盲(めしい)しむ。 五音は、人の耳をして聾(みみつぶれ)しむ。五味は、人の口をして爽(そこな)わしむ。馳騁田獵(ちていでんりょう)は、人の心をして發狂せしむ。得難きの貨は、人の行いをして妨げしむ。是(ここ)を以って聖人は、腹の爲(ため)にし、目の爲にせず。故に彼を去てて此を取る。) 
 五つの色(青/黄/赤/白/黒)は目を見えなくします。五つの音(宮/商/角/微/羽)は、耳を聞こえなくします。五つの味(甘さ/辛さ/酸っぱさ/しょっぱさ/苦さ)は、舌を麻痺させます。競馬と狩猟は人の心を狂わせます。
 珍しいものは、人に邪悪な行動に走らせます。ですから、聖人は、目ではなく、腹の面倒をみます。つまり、彼は外の世界のものよりも、心の内側の世界のものを好むのです。

    
■ 13 章 ■


寵辱若驚。貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵爲下。得之若驚。
失之若驚。是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身。吾所以有大患若。
爲吾有身。及吾無身。吾有何患。故貴以身爲天下。若可寄天下。
愛以身爲天下。若可托天下。
(寵辱(ちょうじょく)に驚くが若(ごと)くし、 大患を貴ぶこと身の若くす。何をか寵辱に驚くが若くすと謂う。寵を下と為し、之を得ては驚くが若くし、之を失い手は驚くが若くす、是を寵辱に驚くが若くすと謂う。何をか大患を貴ぶこと身の若くすと謂う。吾れ大患有る所以の者は、吾れ身が有るが為なり。吾れ身無きに及びては、吾れ何の患(うれ)いか有らん。故に貴ぶに身を以てして天下を為(おさ)むれば、若(すなわ)ち天下を寄すべし。愛するに身を以てして天下を為(おさ)むれば、若(すなわ)ち天下を托すべし。 

 「屈辱をここちよい驚きとして受け止めなさい。困難は、あなた自身の体として有り難く思いなさい。」
 それでは、いったいなぜ私達は屈辱をここちよい驚きとして受け止めるべきなのでしょうか。なぜなら、低い身分は褒美だからです。それを頂くことはここちよい驚きだからです。そして、それを失うこともそうです。ですから私達は屈辱をここちよい驚きとして受け止めるべきなのです。
 なぜ、困難を、私達自身の体として有り難く思うべきなのでしょう。なぜなら私達の体は、私達の困難の原因そのものだからです。もし私達が体を持たないとすれば、私達は、困難に遭遇することがあり得るでしょうか。
 ですから、世界の為に喜んで自分の体を捧げる人こそが、世界を任せるのにふさわしい人なのです。愛を持ってそれを出来る人こそが、世界の指導者に値する人間なのです。

 
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